2013年12月29日日曜日

父親が出逢った美しきロボット

僕の父親は堅物で、厳格と言える程の貫禄は無くて、怒りっぽくて少々暴力的で、毎日のように酒を飲み煙草を吸い、近所迷惑な音量でレッド・ホット・チリ・ペッパーズを聴き、今はもう定年退職したけれど、建築士だった。

元々は船の設計をしたかったそうなのだが、どういう経緯か建築設計事務所が勤め先になり、マンションや商業施設や寺社を手掛けることが多かったと聞いている。思い出してみると家には製図板があり、T字型の定規や平行定規が横柄に転がっていた。CAD等の普及で出番が減っているのかもしれないが、技術者の道具には素敵なものが多い。

髪型や服装といった柔らかいものには無頓着で、白いブリーフとランニングシャツを愛用する程度のセンスしか持ち合わせていない父親だったが、性格や職業の影響からか、建造物や機械類についてはそれなりの視覚を有しているようで、アルバムに収められた硬質な写真の数々には、子供の頃から格好良さを感じていた。カメラが趣味で、CANONの一眼レフフィルムカメラを愛用しており、家の中でも外でもピンときた光景や瞬間を目に留めると、波打ち際で遊ぶ少女のようにパシャパシャとシャッターを切っていた気がする。

僕を含めた兄弟はあの時代を生きていたほとんどの子供と同じようにTVゲームが大好きで、だから俗っぽいコンテンツを多少制限していた父親が根負けしたような形でスーパーファミコンを買ってくれた1993年のクリスマスは発狂するほど嬉しくて、同時に贈られた発売直後の『ロックマンX』のカセットを差し込んでスイッチを入れる瞬間のドキドキやワクワクは、生涯でそう何度も体験することができない水準のものだった。

27型の東芝製ブラウン管テレビ。比較的品質の良い接続ケーブル。ホットカーペットの暖気を遮る為に分厚い辞書の上に置かれたゲーム機の本体。リズミカルなジングルと共に表示されるCAPCOMのロゴ。そして、コントローラーを持つ者の情熱を煽るようなBGMに乗ってオープニングの映像が流れ始めたとき、リビングの後方からじっと見ていた父親が声を発した。

「画が綺麗だな」

すぐさまカメラと三脚を用意して、テレビに映るゲーム画面を黙々と撮影し始める父親。前方からはバシュンバシュンというロックバスターの効果音が、後方からはパシャリパシャリというシャッター音が甲高く響き、朝食の準備が進められるキッチンと相まって、家の中はまるで戦場のような騒々しさだった。それでも、家族それぞれがバラバラのことをしているようでいて、あの土曜日の午前8時頃は、どことなく一体感があったように思う。

結局、父親が管理するどのアルバムにもロックマンの写真が収められることはなかった。それが大事なものを独り占めしようという微かな無邪気さゆえなのか、フィルムに映ったテレビ画面に変な線が入っていたからなのかは分からない。現像したのかしていないのかすらも定かではない。

あれから20年。年末年始に実家に帰る予定を立てながら、僕はこれまで何度も繰り返してきたように、また強く想像する。あの日あの瞬間に父親の目に映ったロックマンは、どれほど優美だったのだろうか。意思を持ったロボット達が暴れ回る未来の都市は、どれほど絢爛だったのだろうか。

父親が感じた美しさの正体は、謎のままである。

0 件のコメント:

コメントを投稿