2011年9月7日水曜日

温泉紀行-壱の湯-

初陣を飾るのは、箱根の地である。
思い出の場所だからだ。

小田原駅と強羅駅を結ぶ箱根登山鉄道の路線において、箱根板橋駅以外で「箱根」の名を冠しているのは箱根湯本駅以外になく、また、箱根湯本こそが箱根の入口であり本陣でもある。

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駅前の道路は商店街と旅館街が併設されたような賑わいがあり、かと思えばすぐ裏手には早川が流れ、自然の合間を縫うように箱根旧街道が敷かれている。この賑やかさと静けさのまとまりが、すなわち箱根の魅力だろう。

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ところで、箱根登山鉄道と言えばスイッチバックが有名だ。スイッチバックとは、簡単に言えば山麓と山頂をジグザグな線路で結び、その線路を列車が前向き走行と後向き走行を切り替えながら進んでいく方式である。

勾配の急な斜面を鉄道が登り降りするための手段なわけだが、見ようによっては前進と後退を繰り返しているわけであり、そうやって次第に目的地へと到達していく様子には、どこか人間的なものが感じられる。

閑話休題。

箱根湯本駅を出て、道路の反対側に行き、振り返ってみると、当然箱根湯本駅を正面に見ることになるのだが、視点を少し後方にずらすと、駅の背中に特徴的な看板を捉えることができる。

それが、【箱根湯本温泉 かっぱ天国】だ。

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街の散策や登山や街道歩きで疲れた体を癒すに丁度良い。
湧き出た汗を流すには、湧き出たお湯が最適である。

泉質、湯加減、建築的構造等については特に書かない。
そういった要素を、この温泉紀行のテーマにするつもりはない。

さて、上に載せた3枚の写真は、どこからか拝借してきたものではなく、いずれも僕自身の手が(デジタルカメラを使って)撮影したものである。撮影時は単独行動をしていたのだが、親戚一同で祖父の米寿を記念するという名目で旅行をしている最中だった。

この旅行の際、祖父はやけに嬉しそうな顔をしていて、饒舌だった。旅館に到着してすぐに、戦時中のことや祖母との馴れ初めの話をし始めたときは、耳を疑った。祖父の親友の妹が祖母であるという話。どこぞの橋の上で接吻をしたという話。

戦地において敵軍に見つからないようライトを消したままトラックで物資を運搬した話以外は全く以て聞くに堪えぬものだったので、一人で外出し、うろうろしながらカメラを構えた、というわけだ。

旅行等の特別な場ではあまりコミュニケーションを取らなかったが、孫一同の中で最も祖父と仲が良かったのは、僕だった。僕と二人で遊ぶことや話すことが多く、そのときの祖父が一番楽しそうな顔をしていると、僕は勝手に評価していた。今思えば、箱根旅行の時、僕が祖父の話から抜け出して単独行動をしたのは、祖父が皆に対して喜々とした表情と口調を振り撒いていたことに、嫉妬したからかもしれない。

箱根旅行からおよそ二年後。
祖父は九十歳になり、そして死んだ。

夜、祖母から電話があった。静かな声で「お爺さんが冷たくなっている」とだけ言った。「最近旦那が冷たいんだよねぇ」という類の話でないことは、すぐに分かった。

祖父母の家までは徒歩25分程度の距離だが、この時の僕は、5分程で走り抜けたように思う。あんなに速く走ったのは、初めてだった。そして、間近で本物の遺体を見たのも、初めてだった。

凍るような温もりを皮膚に浮かべた祖父の身体が、座椅子に支えられていた。口をポカンと開けている上に、片方の靴下が脱げていて、どこか滑稽だった。すごく安らかな表情をしていて、死んでいるのに、楽しそうだった。

祖父の遺体を囲む親族達は、静かだった。
そんな中、僕の呼吸音が室内に響いた。
祖父に会うため全速力で走った僕の身体は、ひどく汗をかいていた。いや、もしかしたら、祖父を見た瞬間に流れ始めたのかもしれない。

ふと、箱根旅行での祖父を思い出した。
温泉に入りたいな、と思った。

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