2011年2月19日土曜日

第1491回

第 1491 回のお題 (出題:アナルホッケー)
日本には八百万の神様がいると言われていますが、中にはしょうもない神様もいるはずです。どんな神様?


[38位]ジャスティス智彦

その神様を知ったのは、僕がまだ小学生の時でした。

当時、朝の登校時間に校門付近の歩道で液状の大便が発見され、
パニックが起こって1時間目が中止になるという事件がありました。

大便は、雨後の水溜りのように広がっており、その規模は、
数人の児童が飛び越えゲームに参加したことを後悔する程でした。

悪臭のため気分を悪くする子供が続出したこともあって、
すぐに先生方を中心とした学校側の対処が始まりましたが、
汚物を綺麗に片付けただけでは、事件は片付きませんでした。

大便が、犬猫のものではなく、明らかに人間のソレだったからです。

そうした知覚がなされたのには、3つの根拠がありました。

��つ、見た目の質感。
��つ、目撃者の存在。
��つ、磯部君のお母さん。

磯部君のお母さんは、早朝から自主的に地域パトロールをするような、
とても立派な女性だったのですが、一部の心ない人達からは、
明け方に近所を徘徊する薄気味悪い人だと認識されていました。

徘徊中に街路樹や道端の草花に水分を分け与えているということも、
犬の散歩等をしていた人達を発信源として、噂になっていました。

そのような話は僕達小学生の耳にも入ってきていたので、
校門大便事件の朝、磯部君に中傷の矛先が向けられてしまいました。

「あのウンコ、お前のかーちゃんがしたんだろ」
「人糞おばさん!人糞おばさん!人糞おばさん!」

喧嘩の強い磯部君が数人を泣かせたことで騒ぎはさらに大きくなり、
ついには、一旦全校児童が校庭に出されるという事態になりました。
お天道様の下で照らされる、子供達の不安や戸惑いに満ちた顔。

そんな混乱状態を終息させたのは、校長先生でした。
朝礼台から発せられた校長先生の一言が、すべてを解決したのです。

「あれは、神様のウンチです」

みんな、笑いました。
磯部君も、笑いました。

―― 糞漏大神(くそもらすおおみかみ)――

通学路に巨大なウンチをするようなしょうもない神様ですが、
みんなが幸せになったので、きっと良い神様なのだと、僕は思います。

40.90 pts [56.58](73.76%) Rate:6.45Up!!

現在のレート:1811.25(少々増。一応、最高レート更新)


久しぶりに長文を書いた。
50行という縛りのギリギリまで使う、フル長文。
歌詞等とは違う、その名の通りの「長い文章」だ。

この意思決定の根本は、ひとつの駄洒落を思い付いたことにある。
その駄洒落とは、オチとなっている「糞漏大神(くそもらすおおみかみ)」だ。
御存知「天照大神(あまてらすおおみかみ)」が元ネタである。

初めは、「糞漏大神(くそもらすおおみかみ)」のみで勝負しようかと思った。
だが、さすがにそれは無謀すぎるなと踏み止まり、装飾を加えることにした。
そして、色々足している内に、どうせなら長文にしよう、となったわけだ。

すり身氏が「事実に基づいてるのかなあ気になる」とコメントしていた。
答えを明かすと、「話自体は100%創作」である。

ただ、創作といっても、ファンタジィとは違って書きやすい。
要素要素は「あるある」を使っているだけだからだ。

・学校の周りを徘徊する不審者
・臨時で校庭に集められる児童
・校長先生の気の利いた一言
・道端に落ちている人糞
・若干変な友達のお母さん

上記のような「小学生時代によくある話」を適当に組み合わせていき、
用意されたオチに向かって淡々と文章を構成していっただけである。
��そういう意味では、創作度は30~50%程度かもしれない)

結果は38位だったが、これは仕方ないかな、と受け止めている。
理由は、1位をとった井脇ノブ子氏のネタにある。

僕が今回書いたネタは、とことんの「理詰め」であり、
また、長々と平叙文を書き、最後にオトすという流れのものだ。

オチの前に「お天道様の下で照らされる」という文章を入れることで、
ネタを読んでいる人の頭に無意識的に「天照」という言葉を想起させ、
その後の「糞漏」を効果的に響かせる、という謎の仕掛けも設置している。
��全くの無意味だとは思うが、気分的にそうしたかった)

一方、井脇ノブ子氏のネタは、初めから終わりまで一定リズムで突っ走り、
切れ味抜群の言葉を惜しげもなくどんどん繰り出していく感性型のネタだ。
��表面的にはそう見えても、ネタ作成の裏側は理詰めなのかもしれないが)

これが大喜利でなく新聞社主催のエッセーコンテストだったら、
おそらく僕が書いたような文章形態が優位だっただろう。
しかし、僕らが戦っている場所は、紛れもなく大喜利の舞台だ。

いかに面白いことを沢山書くか。
いかに感性鋭いネタを書くか。
それが何よりも大事な評価対象であることは、周知の事実だ。

採点者の面子による影響も多少あるのかもしれないが、
綺麗な感じの長文は、恐らく今のネタボケには通じない。
そのことが、確かめられたように思う。

今回は、「僕が得意な書き方」に頼り過ぎた。
しばらく長文ネタは書かないかもしれないが、
次に書くときは、その時のネタボケにしっかりと合わせていきたい。

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