2010年10月18日月曜日

第1432回採点感想

第 1432 回のお題 (出題:アナルホッケー)
赤ちゃんがハイハイの次に出来るようになること

投稿を忘れたので採点をした。
しかし、「罰」というわけではない。
何かしらの形で参加したかった、というのが近い。

ざっと採点したところ、MAXが6点。
分布は概ね以下の通り。

1点(1.8):僅少
2点(2.8):約50%
3点(4.0):約40%
4点(5.4):約5%
5点(6.9):約5%
6点(8.5):僅少

微調整をしていないので、実際には括弧内の点数がついたはず。
この自動的に補正してくれるシステムは、とても便利だ。
��それほど罪悪感がなく絶対評価ができるので)

採点がしやすいお題だったように思う。
ある程度の共通認識ができあがっている状況なので、
いい意味でネタが分かりやすくなっていると言えそうだ。

これ関連して、思うことがある。

1.赤ちゃんが普通やりそうなこと
2.子供(幼児・児童)が普通やりそうなこと

この2つを考えたとき、「1.」は想像が容易く、
「2.」は想像が難しい、という認識が僕にはある。

赤ちゃんの振る舞いは単純だが、子供の振る舞いは複雑だ。
中学生や高校生ぐらいから徐々に振る舞いは単純化されていき、
大人になると赤ちゃんと同じくらいの単純さになる気がする。

人間のライフサイクルにおいて、もっとも振る舞いが複雑なのは、
子供(幼児・児童)なのではないか、という意識がここにある。
「子供は何をするか分からない」という怖さがある。

したがって、子供を扱うお題は、難しい印象がある。
「普通、子供って、こうだよね」が、固まっていないからだ。

「ズレやギャップが笑いの基礎」という話をベースにするならば、
「何を基準とした場合にズレているのか」が重要になる。

基準となる振る舞いが複雑であるとき、共通理解が乏しい状況が生まれ、
結果として笑いが機能しにくくなってしまう、ということが言えるだろう。
それがつまり、「文化が違えば笑いが違う」という話になる。

採点者のイデオロギーを想定してネタを書くのか。
イデオロギーを越えて機能するネタを書くのか。

ここには、商業的なセンスが必要になってくる、と思う。

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